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第1話「浪曲師になっちゃえば!?」

私が弟子入りを決めたのは、冬だった。(平成19年)

そういえば、私は、放送作家事務所を辞めて、自らコントを上演しようと決意したのも冬だった。 私は、冬に大きな決断をしがちなタイプである。

元々、テレビのお笑いしか知らなかった私は、東京に来て演劇の世界、それも小劇場という演劇の世界を知り、すっかりはまってしまった。 現代口語演劇というやつだ。

中でも一番衝撃を受けたのは、五反田団という劇団。初めて観たのは、「ながく吐息」という芝居で、どんな話かというと、 立ちションしたら、おしっこが止まらなくなるって話なんだけど。

まだまだ、浪曲のろの字も知らない。

笑いを考えるとき、設定や発想の飛躍ばかりにとらわれていた私にとって、 その、ごくごく日時的なやりとりで魅せる、現代口語演劇の笑いは、目から鱗というか、全く新しい世界だった。

そして、わが身と共通するような、自意識過剰にとらわれたダメな登場人物たち(もちろんそれだけじゃないけど、私が好きだったという)の生み出す笑いを観て、俺のやりたいのはこれだー!と思い、現代口語を意識したセリフのコントを作り始めた。

そのとき、相方とよく気にしていたのは、 「どれだけ声を張らないか」

演劇的な、いわゆる舞台的な過剰な表現、過剰な発声を、いかにしないか。

リハのとき、「この小ささで聞こえるかな?もっと小さくて大丈夫?」とチェックしてた。

今いる浪曲という芸能は、 声のでかさ、豊かさ、面白さに満ちた世界。

五反田団という劇団のワークショップに参加した縁で、 コントユニットを結成した。

第二回公演を迎えることはなかったが、そのとき組んだお二人は現在、 方やコント作家•脚本家として、方や怪談噺の世界で活躍されてます。

(そういえば、怪談浪曲やる人がいたらしく、その行方を知らないか聞かれたまま、 全然進展できていない。この場を借りて、ごめんなさい!)

新宿サニーサイドシアターという、小劇場も小劇場での公演で、 そのとき私は、「フン転がしの気持ちになって、フンに見立てた友人を押してみる」 みたいなコントを書いたと思う。 その公演を、共演者のつながりで観にきてくれたのが、俳優の村松利史さんだった。

(その出会いが、まさか浪曲に弟子入りする道につながっていようとは…。)

コント公演の直後、近所のカフェで村松さんに偶然お会いし、 近所に住んでいたということもあり、五反田団の話も合ったりで、 その時、村松さんが関わり始めていた、映像作品に脚本•役者として参加させてもらえることになった。

それは、ナナ色(しょく)と言う映像ユニットでDVDにもなっている。

私が出演させてもらった作品はおさめられていないが、それもそのはずで、 私があまりにも芝居ができなかった。 愕然というか、もはや恐怖すら覚えた記憶がある。

それまで自分がやっていたコントは、現代口語演劇を非常に意識したものだったから、 「え、あ、…え?ちょ、え、まじで」 みたいな(これだけでは甚だ意味不明ですが)、日常会話がメインであったため、 (もちろん、それも突き詰めれば決して簡単なものではないです) なんか、ちょっと上手っぽくできてるつもりがあった。大体、自分が書いた脚本だから、 本を読み込む、理解するという必要も無かった。演出も自分だ。 コントではなく、芝居に出させてもらうこともあったりしたが、 「お笑いやってる人って、みんなこんな上手いの?」みたいな言葉をもらったりもした。

それが、キャリアもなにもかも比べ物にならない先輩との共演とはいえ、 そもそも「芝居をする」という感覚も技術もまるでなかったことに、初めて気づいた。 相手の芝居を受けるって?どういうこと??え?姿勢?聞く姿勢?マルデ、ワカリマヘーン。

そんなわけで、ナナ色の作品の中では群を抜いた、3ヶ月近い稽古+台本の改訂を重ねて出来たのが、 「10年」という5分ちょっとの作品だった。

(その「10年」という短い物語は、今は浪曲になっている。)

ナナ色(とその時点では名前はまだ決まっていなかった)のためだけ、 というわけではないが、 ひたすら映像用の短い台本を書く日々。

村松さんに時間を作ってもらい、駄目だしをもらっては直し、もらっては直し。 「10年」の稽古•撮影以降、 それまでと、台本に入れる笑いのニュアンスがかなり変化したと思う。

変化というより、見失ったというほうが正しい。

自分の台本が客観的に見れるようになった結果、 過去の台本を読み返しても、未熟さ、つまらなさばかりが目につく。

書くことにも、演技することにも、多いに自信を失った。

そもそも自分の肩書きが分からない。 お笑い芸人なのか、役者なのか、脚本家なのか。 肩書きが欲しいというよりも、何を目指しているのか、自分の根っこがわからない。 大きく言えば「笑い」ということに変わりはないが、 それを表現する手段が、自分の中で定まらない。

村松さん、ナナ色の方々との付き合いはとっても刺激的だが、 自分の活動がほぼそれだけという心許なさ。

台本の駄目だしをいただいた後、時間があるときは大体飲みに行くことになる。 芝居の感想やら落語の感想やら、色々なことを話すのだが、 ある日、「浪曲って知ってる?」 と村松さんがカバンから取り出したのが、「玉川福太郎独演会」のチラシだった。 小沢昭一先生の「こんな面白いものを、なぜ若い人たちは聞かないのかなぁ。いいよ、僕たちだけの宝物にしよう」 みたいなコメントが入っていたやつと記憶している。

「え~っと、ちょっと待って下さい。浪曲って言葉は、何回か聞いたことあったかもですけど、…音楽ですか?え?…演芸?」 くらいの無知っぷりだった私は、 間もなく、浪曲定席「浅草木馬亭」に足を運ぶことになる。

だいぶ重くなってしまっている扉を開けて、劇場内に足を踏み入れた私は、 決して演出ではなく、その場に流れているタイムスリップな空気感に、言葉を失ったのを覚えている。

そんな状態だったこともあり、 その日のトリで初めて聴いた、後に入門することになる玉川福太郎の浪曲を、なんと、面白いと思えなかったのである。

その後飲みにいった席で、他にも「玉川福太郎って、面白いから!」と何人か知人を誘って来ていた村松さんが、実に、信じられないといった表情で「こんなはずはない…福太郎は本当に面白いんだ…こんなはずはない」としきりにおっしゃっていた。

そして、その言葉の通りだということが、足をはこび続けると、割とすぐ感じられるようになった。

だって、本当に面白いから。

叶うことはないが、客席に通っていた当時のことを回想すると、またタイムスリップして、あの体験をしたいと思う。

(実は、浪曲初体験という要素以外に、師匠のやった演目が、その後、一度も舞台で聞くことのない新作浪曲であった、 ということも後々知った。 その新作浪曲というのも、数年に一度ある国立演芸場主催の台本募集で選ばれたもので、もちろん入選したものではあっても、いわゆるプロの作歌さんが書いたものではなかった。 そして、 これも後々知るわけだが、そういったものでも、どんどん積極的に舞台にあげようとするのが師匠の性格なのである。実際、自分が客席にいたときに、お客にむかって『台本募集ありますから、お客さんも台本書いておくってみてくださいよ。できるでしょ?節が五七五で、あとはセリフなんだから。書けるでしょ?ね?』と実に、実に、気軽に勧誘している姿を目にしたことがある。その根底には、浪曲に関わる人を増やしたい。浪曲を絶やさない、という信念があるわけだけど、しかし恐ろしい。。)

当時は、木馬亭浪曲定席は10日間興行していて、毎月7日、8日間通うようになった。

平日の昼間、普通に働いている人たちは来られない時間帯に、 この素晴らしい芸を、少人数のお客で独占している。その喜び、オアシス感の相乗効果もあったと思う。

好きな浪曲師の口演のときは、前から2、3列目に座って、さらに前傾姿勢でかじりついて。 童心に帰るような、この楽しさ。 テレビのお笑いでも、芝居でも映画でも、こんな心地になったことはない。 「うーん、そこを突いてくるかぁ」とか「わ、そのセンスすごい」とかそんな余計なことはまるで考えず、ただ目の前で起こることに、引き込まれ、振り回される。

はっきりいって、物語はよくわからない。 そもそもヤクザがどうとか、忠臣蔵とか、興味のある分野では全くない。 でも、面白い。 よくわからないまま、声の迫力、表現力にひっぱられ、気が付いたら前のめりで聴いている。 特に師匠•福太郎の口演のときは、 節の部分で、私はよく笑っていた。文句がどうこうではない。いきなり「わ!!」ってでかい声でおどかされて、びっくりするような? とにかく、30分の口演で飽きたってことが、一度もなかった。

発想がどうとか、センスがどうとか、そういうことじゃなく、表現力•芸の力というものの強さに、 それまでの自分自身の好みだとか、趣味趣向なんてものが、簡単にひっくり返される体験。

この圧倒的な表現力、浪曲という声の魔力に満ちた世界に、 自分がもともと面白がっていたような笑い、物語をのっけたら、一体どうなるだろう…、 そんなことを、いつしか想像し始めていた。

浪曲という、まさしく声の芸。

その「声の芸」の世界に、自分がそれまで面白がっていた、ほんど対極的な笑い、物語を入れたらどうなるだろう。

そんなことを妄想し始めていた。 あくまで、妄想。

浪曲を聴き始めて3、4ヶ月経った頃だろうか。 現在7日間になったが、当時は、毎月1日から10日まで浪曲定席の興行があった。 6日7日、8日間と通いつめる。

その時出ていた浪曲師は全員聴いた。

浪曲は多芸にくらべても、一人一ジャンルと言われるほど、個性の違いが本当に大きい。

舞台袖から演台に辿りつくまでは、なんとも頼りない足取りなのに、いざ一席始まれば、見事な口跡で、味わい深い芸を披露する超高齢の老人。(※当時、お客の立場の感想です) 一見おしとやかな、上品な女性なのに、空間がねじれんばかりの、ほとんど暴力的な大音を出す女性。 30分間、顔の表情の変化だけ見てても全く飽きない、パンチパーマの人。(うちの師匠)

「あの人の面白さは?」「あいつのつまらなさは?」(※当時の、無邪気な、実に無邪気な客の立場です) 浅草の飲み屋で、村松さんと熱い話を繰り返す。 そして、自然と、 「古俣くん(私の本名)、これからどうすの?」 的な話にもなる。

演技、表現するってことを、一から学び直さなきゃってことを真剣に考えていた私。あるとき、村松さんが、 「いっそ、浪曲師に弟子入りしちゃえば!?(笑)」 「いやいや、それは無理ですよ!」 と私。 その後、とくにその話題を引きずることもなく、ただの酒の上でのやりとり。

それでも「ほとんど毎日に近く会って、台本みてもらって、でも、関係としてはあくまで他人。自分のことは自分で方針をたてなきゃいけないだな」ってことを、その、まあ、半分冗談みたいな言葉から感じたも、今思えば大きかった気がする。(ごくごく当たり前の話です。自分のことは自分で決める)

また月が変わって、木馬亭に通いつめる。

その日のトリは、うちの師匠。師匠目当ての私は、ほとんど最前列に座っていた。客席は、20名弱くらい。自分の他に若い人はだれもいない。

浪曲師は、マクラ(本編に入る前の導入的な、入り口的な部分。ときに、雑談、世間話だったりもする)を話す慣例はほとんどないが、 師匠•福太郎は必ずといっていいほど、マクラを話す人だった。 なにも本編につながるようなものばかりじゃなくて、 「松井、ヤンキースで頑張ってますね」みたいな、自分の好きなことの話も多かったが、 その日は、客席に向かって、ふと、 「なんの世界でもそうですけど、浪曲界も、やっぱり若い人がはいってこないと駄目ですねぇ」

客席に、若者は自分一人。

「これは、俺に対していっているのだろうか?!」

27歳という、世間的には決して若くはないのだが、舞台にあがっている浪曲師たちにくらべれば、ずば抜けて若い。 その年齢で、今の自分の状況で浪曲に出会っていることに、少なからず運命的なものも感じ始めていたので、 「これは、まさか、俺を誘っている…?」 (とんだ勘違いであったのは、後に、師匠に確認してわかりました。恥ずかし!)

「浪曲師になっちゃえば!?」 「…若い人が入ってこないと駄目ですねぇ」

二つの言葉が、頭の中で繰り返される。

「浪曲の世界に、もっと現代的な物語があったら…」 という妄想もある。

いやいや、無理無理。 もともと、歌うことが嫌い(大嫌いと言ってもいい)だし苦手だし。着物をきて、客席をむいて大きな声で語る芸なんて、それまで自分がやってきたことをあまりに違いすぎるし、性格的にも向いていない気がする。弟子入りって、言葉の重み。現実的じゃない。

「浪曲師になっちゃえば!?」 「…若い人が入ってこないと駄目ですねぇ」

全く決心なんてついていない。 浪曲師になるなんて無理だという気持ちも変わらない。

それなのに。

自分の意志なのか、二つの言葉に足を動かされているのか、わからないまま、 ある日私は、浅草にある、日本浪曲協会の事務所の、すぐ近くに立って、電話をかけていた。

「…はい、もしもし、浪曲協会でございます」

「あ、すみません、あの、えーっと、その……、浪曲師になりたいんですけど…」

平成19年1月30日。とても寒い日だった。

 

(第2話に続く)


公開日:
最終更新日:2016/05/30

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今月も半分まできましたが、なかなか濃い日々の連続で、一皮むけたようなそ

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ご案内文など追記しますが、まずは公演情報のみですみません。 &n

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