「舞台×ドキュメンタリー×浪曲師玉川太福譚」を終えて(前編)
1月19日から22日まで、「舞台×ドキュメンタリー 浪曲師玉川太福譚」にご来場くださいまして、心より厚く御礼申し上げます。
2回もご来場くださったお客様も何人もいらっしゃいまして、本当にありがたい限りでございました。
この公演を終えて、皆様にお伝えしたい複雑な感情がたくさんありまして、感想を書かせていただきたいと思いました。ちょっと長くなりますが、どうかお付き合いください。
このお話を企画室磁場の代表、浪打賢吾さんからご依頼いただいたのは、昨年の8月でした。
「木馬亭さんと浪曲を1人の浪曲師のかたの視点を中心に物語を綴りたいと考えております。また、それらをノンフィクション劇とするだけでなく、その浪曲師のかたを公演にお招きしてインタビューを差し込みつつ展開しドキュメンタリー性を持たせたい」
このような説明をいただきました。
なんだか、わかるような、わからないような笑。。。
浪打さんは、まだ未定であり、これから進めて行く上で決めていきたいことも含めて、とても正直に、真摯に説明してくれました。その姿勢は、公演の千秋楽まで一貫して変わることはありませんでした。
私よりも若い、しかも浪曲と全く馴染みのない若者が、興味を持ってくれて、真摯に依頼してくれている。
会ってお話を聞いても、正直全貌はほとんど見えなかったのですが(そりゃそうなんです。私の人生をまず取材するところからしか、スタートできないので。。。)、お引き受けすることにしました。
それから、2回に分けて計5、6時間くらいの取材を受け、幼少期から、学生時代、コント時代を経て浪曲師に至るまで、かなりダイジェスト的だったとは思いますが、浪打さんにお話ししました。それが8月の終わりから9月の始めくらいだったかなぁ。
その後は、PVを撮影したり、チラシ作成のやり取りをしたり、チラシが届いてもやはり全貌は見えぬまま、12月のはじめに脚本の初稿が届きました。
私の小学校時代から始まり、家族や親友とのやりとり、高校生、大学時代も少しずつ描かれいて、メインになるのは、コントを上演し始めてから浪曲に出会い、玉川福太郎に入門、そしてすぐに訪れる師との別れ、妻との出会い、武春師匠との別れ、そして今日に至る。上演時間にして100分超くらいに、私の人生がまとめられていました。
取材にもとづいているので、もちろん登場人物も実在の名前であり、描かれる出来事も私が体験したものに相違ないのですが、会話も登場人物の性格も、私の知るそれらとは大きく隔たりが感じられ、私の人生であるはずのものが、誰か他人の人生を見ているような、強烈な違和感を覚えました。
浪打さんは、私の家族や友人や浪曲関係の人たちも含め、誰も知らないし、接したことはないのだから、そうなるのはちょっと考えてみれば至極当たり前のことであったのですが、実際に読んでみるまで、自分がどんな気持ちになるのか想像できていなかったんです。いや、こればかりは読んでみないことにはわからないことだったようにも思います。いやいや、でももう少しは想像できたことかもしれない。でも、できていなかった。
この初稿を読んだ時の感想は、はっきり言ってしまうと「上演して欲しくない」とさえ感じました。私や私の人生、また登場人物たちの、真の姿でないものが観客に伝わってしまうのは堪え難い、そんな気持ちでした。
とくに、師匠との時間や、父との別れ、妻との出会い、出産、そういった私にとって宝のような時間や思い出の部分については、舞台であっても、それは歪められたくないと強く感じ、初稿を読んだ後に、浪打さんとすぐに会って話しました。浪打さんも書き上げるにあたっては、他人のプライベートに筆を入れるという、精神的にも大変な苦労をされていたはずで、とはいえ、私に彼の気持ちを汲めるほどの余裕もなく、脚本家にとってはすごく傷つけてしまうような言葉もあったんじゃないかと思いますが、率直に、「直して欲しい」と伝えました。
初稿を読んだ後に、私自身も考えました。
浪打さんは、言ってみれば赤の他人であり、その人が書く私の人生は、私が体験したものと大きく隔たりが生まれるのは、ちょっと考えてみてもわかることだ。にもかかわらず、初稿を読んでショックを受けるということは、私は、一体どんな物語を書いてもらえることを期待していたんだろう?
私自身、ごく安易にこの仕事を引き受けたせいであり、今思えば、浪打さんを一方的に責めるような立場では全くなかったんです。本当に申し訳無かったと思います。
しかし、浪打さんは、書いていいことかわからないけど、涙を流しながら私の言うことを聞き入れてくれて、「このままでは上演できません。できる限り書き直します」と反論一つせずに受け入れてくれました。
私がどうしても直してもらいたい箇所を伝え、その部分については、初稿と随分変えていただきました。もちろん、私と実在のその人とが交わした言葉ではないのですが、「芝居」「演劇」として、私も受け入れることにしました。すっきりした状態、腑に落ちた、というには、まだ程遠い気持ちでした。
主演の土田祐太さんは、私の役をやると決まってから、浪曲会はもちろん、新潮講座に通ってくれたり、浪曲教室に通ってくれたりしてくださっていたので、すでに面識はあったし、浪打さんよりも頻繁にあっていたのですが、他のキャストの方とはほとんど会う機会がないまま、年明けに初めて稽古場に伺いました。
浪打さん、土田さんを始め、他のキャストの方も含めてなんですが、これは浪打さんたちと話したことじゃなく、私が一方的に、
「今回は、公演が終わるまで、仲良くならない方がいいな」
と思ったんです。この部分については、ほぼ、最後までそのようにさせていただきました。正解を比べることはできないけど、おそらく、それで良かったんだろうと思ってます。
これは後から、キャストの皆さんに伺ったのですが、私が初めて通し稽古を見に行く日、稽古場はものすごい緊張感になっていたそうです。浪打さんも、
「座っている椅子をぶん投げられるくらい、怒られる」
そこまで覚悟していたそうです。。。そんな乱暴者じゃないよ〜(笑)
でも、私も緊張しておりました。単純に人見知りですし、音響や制作の方も含めて、20人近い人がいらっしゃる。そこで、私の人生が上演される。いろんな緊張がありました。
余談ですが、その通し稽古の場で、
「え?芝居を見ている私も、お客さんから見られてるの??」
と、公演のすごく肝の部分を知るという(笑)。いや、聞いていたと思うんです。インタビューを挟むってことはもちろん理解していたのですが、まさか自分も舞台上だとは思わなかったんですね。。
それで、初めて、通し稽古を見ました。
何か自分の中にあった、不安や後ろ向きな感情が、ほとんど一気になくなりました。
これも、見るまでは全く予想できなかったことで。
目の前に、師匠福太郎が出てくる、家族が出てくる、武春師匠が出てくる、、、。もちろん、私も出てくる。そして、私の記憶とは違う会話ややり取りをしている。そのことが、驚くほどすーっと、受け入れられたんです。
今にして思えば、単純に「芝居」として、受け入れられた、ということなのかもしれないです。ちょっとわからないんですが。
私も、若干ですが小劇場の芝居をかじったことがあったので、劇の内容に関わらず、「クオリティ」として受け入れられるものとそうでないものがあるんだろうと思うのですが、今回は役者さんや演出のクオリティがとても高かったんじゃないかと思うんです。
脚本のセリフを、「ああ、そんな風に消化してくれているのか。本で読んだ印象よりずーっといいなぁ」みたいなことが、ほとんどでした。
この話を受けて、良かった…うん。
本番まで二週間切っていたと思いますが、そこで初めてそう思えたんです。
いよいよ、本番を迎え、その感情は私の想像をずーっと超えたものになりました。(続)
写真は、bozzoさん提供。
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