錦鯉の長谷川さん
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最終更新日:2014/09/10
その他・雑記等
私の、小さい頃…具体的には小学校5年生くらいからの夢は、
コント作家になること
我々の青春時代のお笑いスターといえば、まあ、ほとんどみんな、ダウンタウンだったんじゃないかと思う。
私もご多分にもれず、そうで。とりあえず、放送作家の事務所(その中でも、ダウンタウンの番組をやっている事務所)に入ればコントが書けると信じていた私は、その現実とのギャップにわずか半年で退社。(退社といっても、入社試験や契約があるわけではなく、「辞めます」の一言で終わりなわけだったが)
じゃあ、自分で書いた台本を、自分でやればいいんだと思ったんだが、「クラスの人気者で、休み時間には黒板の前にたって、先生のモノマネやコントをやって笑いを取っていた」ようなタイプとは真逆だった私は、そこで初めて、自分が人前でめちゃくちゃアガるタイプであることを確認。
とはいえ、漕ぎ出した舟はもう戻れない。
放送作家事務所を辞める際に相談した大先輩の作家さんに、「知り合いが、お笑いライブ始めるらしいから、出れば?頼んでやるよ」と、ご縁を頂いて出演が決まったお笑いライブ。
初舞台前の「え…!?俺、ほんとに、ほんとに人前でコントなんてやるの!?」という気持ちは忘れられない。
その時のライブで、一緒だったのが、当時「マッサジル」というコンビ、久保田さんと長谷川さんのお2人。
札幌の吉本でバリバリやっていた経歴を持つお二人は、ど素人の私から見れば、神がかった面白さだった。年齢もキャリアもずっと上だったお二人だが、人柄もとても気さくで、飲み会でほぼ毎回酔いつぶれて、酒が入ると生意気な本性を隠さなかった私なども、本当にかわいがっていただいた。
その後、私は浪曲師になり、マッサジルは解散し、今では長谷川さんだけが「錦鯉」というコンビでお笑いを続けている。
前置きが長くなったが、その、長谷川さんに誘っていただき、10年ちかくぶりに、お笑いの舞台に出させていただいた。もちろん、浪曲師として。
当時一緒に出ていた、お笑いライブのプロデューサーの彼も観に来てくれた。
十年ぶりの共演だからといって、お互い感慨に浸るようなことも、たぶんなく、それぞれ、お客さんの前でただ、いつも通り、必死に芸をやっただけだと思う。それで良かったというか、そういうもんだと思う。
特別なことじゃなく、これからも数えきれないくらい共演できたら嬉しい。
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